もうひとつの柏8:201228 私流 “中手賀” 案内

柏マニアNo.
10
杉野
すぎの
光明
みつあき

すぎの梨園

プロフィール詳細


手賀沼に三方を囲まれた手賀地区は名の知れた観光ポイントや集客イベントがないのでふだんは目的のない人は訪れないところ。ですからのんびりした雰囲気の半島性気質が残っているかもしれません。ところが最近、見知らぬ人たちが歩いたり自転車で走る姿を以前よりも見かけるようになりました。それなりの居心地よさとプライドを感じながらここに暮らしていますので、周りから興味を持っていただけるのはありがたいこと。このコロナ禍のなか、“密”ではない“中手賀”を巡ってみてはいかが。ただし、受け入れ態勢や設備は整っていませんので節度ある範囲でお願いしますね。

“中手賀”? わが母校「手賀中」ではありません。道の駅しょうなんのある箕輪・岩井周辺が“手賀の入り口”で、手賀沼の真ん中にあるフィッシングセンター以東を“奥手賀”と称するなら、その間の鷲野谷・泉・柳戸あたりを“中手賀”とよんでもいいかなという造語です。三集落がコンパクトにまとまっていますので、2時間ぐらいで歩くことができるはず。
ここではJR我孫子駅からバスに乗り手賀の杜入り口で下車、そこから岩井→鷲野谷→泉→柳戸と“送り大師”の大師道を中心に約6km歩いて、手賀の丘公園からバスでJR柏駅へという半日コースをご紹介します。


バスは手賀の杜住宅地の入り口、フットサルコートのある「スポーツ広場前」停留所で下車。手前の交差点を東へ。次の信号のある交差点を左折して集落内へ。さらに左折して坂を下っていくとすぐに真言宗龍光院と将門神社。このあたりが岩井集落の中心。大師講の第6番と第73番の二つの札所が境内にあります。通常ムラの入り口に置かれる庚申塔も手賀の杜住宅地の開発により移転を余儀なくされ、やはり境内に。将門神社の神殿の彫刻は将門伝説を伝えているといわれ、一見の価値あり。岩井には将門を封じ込めるために創建された布施弁天や成田山へお詣りはしないという風習が残っているとか。
寺の山門の前の道を東へ。まっすぐな道と四角く成形された区画の耕地整理された畑が広がっています。手賀地区ではほかに泉、片山、手賀集落周辺にみられます。事業は昭和40年代に行われ、相応の費用もかかりましたので、当時の行政や農家の農業への意気込みが感じられます。近くに道の駅農産物直売所もできたこともあり、岩井は今でも農業後継者の多い集落です。

丘のようになった耕地整理された畑地を越えると鷲野谷集落が見えてきます。集落に入ってすぐに左の高台に大師講第14番と第71番札所がある真言宗善龍寺があります。隣りが“大正の法然”と称される弁栄上人の生家で、このあたりで13歳の上人が夕空に阿弥陀仏を見たといわれています。緩やかな坂道を直進すると左に浄土宗医王寺の山門が見えます。
医王寺住職は県内の浄土宗寺院で講話をされる説教師のお一人。毎月25日19時より講話と念仏の2時間を過ごす法然講を主宰しています。住職の念仏を唱えるお声が素晴らしい。男性が聞きほれてしまうほど。女性なら……。一度、その幽玄な時空間に浸ってみたら病みつきになるかも。残念ながら、現在はコロナ禍で休止中です。境内右手には大師講第20番札所。並んで江戸期後期の徳本上人の独特な字体の念仏塔。脇の階段を上ると弁栄上人が若き日に修行した薬師堂。ご本尊の薬師如来は12年ごとの寅年に御開帳されます。次は2022年ですね。こちらには大師講の結願となる第88番札所があります。薬師堂裏の墓地の一角に弁栄上人の墓があります。
薬師堂の門前から集落内の道に戻り左折。丁字路になった正面の開けたところは柏市の管理する“わしのや農業交流拠点”という広場。近くで運営されている体験農園“わしのや農園”の休憩地で、ここにはトイレ、ベンチ、水道が整備されています。
丁字路を右折し、少し歩いた角に鬱蒼とした屋敷林を構えるお屋敷があります。長屋門があるのですぐにわかります。ここが最近、国登録有形文化財に指定された“染谷家住宅”。

染谷家前の道


敷地内に許可なく立ち入ることはご遠慮ください。古くからの名主で、古文書等も保管されていていました。その資料をもとに千葉県中央博物館では近世集落の事例として江戸期後期の鷲野谷集落をジオラマ展示しています。それをみると当時と現在の集落内の道がほとんど変わらないのがわかります。家の戸数は現在の半分以下でしょうか。集落の最も高いところに位置する染谷家は存在感があってすぐにわかります。明治期の主、染谷大太郎は文化人としても有名で、近くの縄文遺跡から発掘した遺物を大学等に寄贈したり本にまとめています。この12月まで中央博物館で開催されていた『ちばの縄文展』では、アマチュア考古学者のパイオニアとして紹介されていました。

近世鷲野谷集落のジオラマ(千葉中央博物館)


長屋門の前の道を東へ進むと、曲がり角の先で二手に道は分かれます。道を右に行き坂を下りずに直進すると香取神社。香取神社の裏に大師講38番札所があります。この社殿の彫り物も素晴らしい。社殿前の参道は70段の急な階段になっていて、昔、中学校の部活の体力作りでこの階段を何度も駆け上がったっけ。大師道が逆回りだったら、最大の難所だったかも。階段を下りて左折、左側に大師講第51番札所のある日枝神社。

香取神社参道の階段


すぐに染井入落としを渡る橋。染井入落としは手賀沼に注ぐ小河川の一つで、水源の一つは泉龍泉院裏の谷津をさかのぼったところにある『白蛇の井戸』。かつてここから水を運んで泉集落内で酒を造っていたこともあったとか。ここの湧水は現在でも健在。ただし行き止まりで徒歩でしか行けないような荒れた道しかありませんので、ご注意を。

染井入落とし 冬



龍泉院脇から泉集落を望む


染井入落としを渡り、右に大きく曲がる道の先を左に泉集落に入ります。坂の手前にあるお堂は真言宗吉祥院の二十三夜堂。その後ろの高台は手賀西小学校。校庭はかつての吉祥院の境内だったといいます。ここには大師講第31番と第70番札所があります。第31番札所はもともと吉祥院境内にあったものが明治期に移設され、再び2020年春に吉祥院境内に戻ってきました。泉龍泉院住職によると、これまでも札所の移転はたびたびあったそうです。
二十三夜堂前の交差点の右の坂を上って右折した突き当りは妙見社。毎年2月22日、うるちもちで成形した鳥を飾って豊作祈願の神事が行われる『鳥ビシャ』の祭場です。妙見社周辺は中城という小字で、戦国時代の城跡とされてます。妙見社の御神体はカメに乗った形で描かれています。そのため泉集落ではカメを飼ってはいけないと伝えられています。神社南側の低地にはかつて池があって、そこにカメがいたのかもしれません。その前にわが家の田んぼがあり、今でも時々カメの姿を見かけます。
二十三夜堂の前の坂を直進して集落内を進みます。県道の交差点を渡り右側に泉バス停留所あたりから左に入る細い道があります。その坂を上ると前に曹洞宗龍泉院の山門脇の大きな杉が見えてきます。境内に入って右側に大師講第 33番札所。本堂を左に回ると県内でも有数の座禅堂があります。龍泉院では50年前から座禅会を催されてきました。この座禅会は会員の自主的活動により運営されており、座禅堂も会員からの浄財により建設されています。毎月定例参禅会のほか、月に二回、だれでも参加できる自由参禅会も開催されています。興味のある方は龍泉院参禅会にお問い合わせください。

龍泉院座禅堂


龍泉院の山門を出て参道を直進すると丁字路に。右折して400mほどのところに泉の庚申塚があります。庚申信仰はその晩に作られた子供は鬼になるのでムラの若い男たちを一カ所に集め、疫病神が入らないように徹夜でムラを守るというもの。この道は塚崎の神明社脇まで続いています。その川向かいは藤心の代官所。ちなみに鷲野谷集落の庚申塚は沼南高校近くのガソリンスタンド前の県道交差点にあり、南に延びる道は途中でゴルフ場敷地に分断されますが、泉からの道に合流してました。庚申信仰が始められた頃はこの方向が鬼門だったのでしょう。泉では数百年続く庚申講がいまでも続けられています。
大師道は先ほどの丁字路を左折。正面のこんもりとしたシイの森を目指します。泉の鎮守・鳥見神社の森。半分は泉ふるさとセンターになっています。社殿の右側には大師講第28番札所、社殿左側には大きな『大東亜戦争従軍記念碑』。裏面には泉集落から出征した方々の名前が刻まれています。ほぼ全戸から一人は出征した人数。その1/3は戦死者。戦争の現実を物語っています。
神社の鳥居を出て左へ。県道を渡ると正面に石塔が数基立てられた塚。この塚には出羽三山、大日様、徳本上人念仏塔と様々な仏神が祀られています。千葉県は明治初期の神仏前まで伊勢神宮と並ぶ信仰の人気スポットであった出羽三山信仰が盛んで各地に講中がつくられていました。泉では30年前に解散しましたが、布瀬集落ではまだ続いているようです。県道のカーブのところにも木曽御岳山を祀った塚があります。このあたりは「切返し古墳」ということですので、古墳墓だったところが塚として二つだけ残ったのかもしれません。石塔が傾いていますので、むやみに塚の上に登らないでください。

塚の下にある大師道の道標の示された道を東へ。坂を下りると本堂の大屋根と落雷で半分焼けた大杉が印象的な真言宗弘誓院が見えます。平安初期、行基による創建と伝えられています。境内には2本の大きなイチョウの樹。柏市の指定文化財(天然記念物)となっています。大師講第83番札所があります。昭和初期までは多くの人を集めた祈祷寺として栄えていましたが、近年ふたたび、万灯会、鐘突き、護摩焚きといった一連の年越し行事やそれに伴う檀家と寺をあげての接待により賑わいを見せています。残念ながら今年の年越し行事は縮小されるようです。(写経体験もできるので、気になる方はぜひお問い合わせください。)

柳戸弘誓院 秋


手前の坂の下りた地点まで戻り、谷津田を渡って山中の道に入り上っていきます。小さな切通しもあって、とても柏市内とは思えない雰囲気です。薄暗く寂しい道ですので、お気をつけて。坂を上がると左に畑、右に何やらコンクリートの構造物。手賀沼円筒分水というのだそうです。手賀沼から吸い上げた水を方々の用水路に均等に分けるための手賀沼土地改良区の施設。土木遺産マニアにとっては垂涎の的とか。わざわざここを訪ねに来た人を案内したことがあります。ここも危険です。立ち入り禁止です。
畑の中の複雑な交差点を北へ向かうと、左前方に手賀の丘少年自然の家、正面は手賀の丘公園。公園の入り口には片山集落の庚申塚。今はさびれた山中ですが、ここが集落の入り口でもあったことがわかります。2020年の春から公園内は民間事業者RECAMPしょうなんの管理するキャンプ場になっていて、平日でも利用者がいるようです。管理棟にはキャンプ用品店もあって、新しい人気スポットになる予感。管理棟前の道を南へ300mほどでJR柏駅行きのバス停留所があります。

弘誓院下から手賀の丘公園へ向かう道の切通し


今回、異なる宗派・修行体験のできる3つのお寺さんを紹介しました。鷲野谷・医王寺の念仏体験、泉・龍泉院の座禅体験、柳戸・弘誓院の護摩焚き体験です。様々な側面で現代社会が行き詰まるなかで、厳かに心を落ち着かせ自らを見つめ直す機会を持つことは大切なことではないでしょうか。残念ながらコロナ禍のなかでこれらの修行体験は縮小、中止されています。それが許されるようになったとき、今回のコースを歩きながら三つの修行を体験する一日ツアーを企画できたら、これも柏の魅力の一つになりませんか。

OpenStreetMap JAPANというサイトの上のバナーにある「OpenStreetMap プロジェクトサイト」を開き、地図をどんどん拡大してみてください。ここで紹介した道やポイント名が表示されてきます。

OSMは自由に利用でき,簡単に編集できる地図で、様々な情報を地図データとして共有できるものです。例えば福祉施策や防災対策に活用することも可能です。柏のこれからのまち歩きにも活かせるのではないでしょうか。仲間たちと歩きながら気になったポイントを書き込むと、新たなコミュニケーションツールになるかもしれません。

なお、ここで紹介した寺社や史跡の説明は『沼南の宗教文化誌』(椎名宏雄2020年.2月、たけしま出版)を参考にしました。椎名さんは泉・龍泉院住職で、市史編纂委員も務められた方です。沼南の歴史や民俗に興味をお持ちの方にお勧めします。



【今回の "中手賀"ご案内】

JR我孫子駅よりバス乗車

「スポーツ広場前」停留所下車

岩井

 真言宗龍光院

 将門神社

鷲野谷

 真言宗善龍寺

 浄土宗医王寺

 薬師堂

 わしのや農業交流拠点

 染谷家住宅

 香取神社

 日枝神社

 真言宗吉祥院の二十三夜堂

 妙見社

 曽洞宗龍泉院

柳戸

 真言宗弘誓院

 手賀の丘公園

「手賀の丘公園バス停」よりバス乗車
(※「手賀農協前バス停」も利用できます)

JR柏駅

この記事を書いた人

すぎの梨園

杉野
すぎの
光明
みつあき
プロフィール

父の代から沼南地区で梨の栽培を始める。1973年から本格的に梨栽培を手掛け、1988年に就農。2013年には梨栽培を中心に農産物やジャム類・ドレッシングなど加工品も開発。梨シーズン中は自家直売所のほか、道の駅しょうなん農産物直売所でも販売。


また、休耕地を有効活用したひまわり栽培に取り組み、食の地産地消を目指してひまわり油を販売中。

参考サイト

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