歴史まち柏〜時と人との交差点〜 1:街道(旧水戸街道と旧日光街道東往還)と小金牧

柏マニアNo.
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吉田
ヨシダ
タカシ
プロフィール詳細

【前振り】

あれはバブルがはじけて間もない、大學4年生の夏も終わろうとしていた頃、

渋谷のキャンパス(と言えるようなお洒落な雰囲気は皆無)の博物館実習室にて・・

教授の「お〜い、この中でまだ就職が決まってない奴は誰だ?」との問いに、

隣に座っていた発掘バイト仲間の悪友が、僕の右手を握りしめて高くあげた!

 

「お、お前まだ決まってないのか!なんか柏で学芸員を募集してるらしく、明日が締切りらしい。もう帰っていいから、今から履歴書用意して明日出してこいっ!」

 

「えっ、あの、で・・、柏ってどんな・・、募集内容とか・・・」

「そんなの受かってから考えろ!いいから早く帰れ!」

これが、私と柏との出会い♡

 

・・・それから月日が流れ、柏に移り住んで今年でとうとう30年。

ども、発掘隊長です。

自己紹介はこれくらいにして、しばしお付き合いください。

 

【今回のテーマ】

で、今回の執筆の話をお聞きして考えたのは・・

単なる歴史の話でなく、人々の往来というか、動きを感じてもらえるように柏の歴史を描きたいなぁ〜と。

となると、まずは街道!『旧水戸街道』と『旧日光街道』です。(こんな安易なテーマ設定して、後で困らないか・・・苦笑)

このテーマは、これまでもいろんな人が取り上げているでしょうが、発掘の人間として、「小金牧」や牧を形成した「野馬土手」の話を交えながらご紹介。

 

【旧水戸街道】

 江戸日本橋を出て千住宿・小金宿を過ぎると、常磐線の南側に沿って、柏の市域に入り、柏駅前を抜けて国道16号線を超えた先で常磐線を渡り、北柏駅の北側を通って我孫子へ抜ける道が、御存じ「旧水戸街道」です。

ここでは、流山方面から入って、南柏、そして柏方面に向かってみることにします。

街道沿いの野馬土手は今ではもうほとんど見ることができませんが、流山市から南柏駅周辺までの街道左側には、野馬土手が街道と並行して続いていました。

所々で見られる一列に並んだ住宅街はその名残りです。

  

野馬土手とは、牧と村の境、もしくは牧内部を区分するなどの理由で築かれた土手で、ここ南柏付近の街道沿いの土手は、牧から馬が逃げ出さないよう築かれたものです。

野馬土手は通常、堀とセットになっています。堀を掘って、その脇に土手として積み上げ、その高低差で馬が越えないようにしたのです。

南柏駅前を過ぎ、これまで街道に並行して左側に延びていた野馬土手は、ヤングボールの手前で右に直角に折れて、街道と交差します。ここには木戸が設けられており、この木戸をくぐって、街道右側の携帯ショップ(ソフトバンク)あたりにあったクランクを進むと、そこから先、旧水戸街道は牧の中へと入っていきます。この木戸の様子は当時の絵図にも残されています。

  

 

 

【旧日光街道】

 木戸から牧に入るとすぐに左に分岐するのが「旧日光街道(東往還)」です。常磐線を陸橋で越え(当時はもちろん陸橋なんかないです!)、国道6号線の南柏交差点を越えるとすぐに、街道に直交するように野馬土手が所在していました。焼肉屋さんの手前、右に曲がれば吉野沢、左に曲がれば豊四季第一緑地に向かう道です。この道に沿って野馬土手が延びていました。

よく見るとこの左右の道は少し食い違っています。野馬土手も旧日光街道の両脇に食い違うようにあったのです。

 

 

街道の左右にズレて作られた土手!お分かり頂けますでしょうか?この面白さ!

さすが、あなたも、なかなかのマニアですね〜(笑)。

この野馬土手は、牧と村の境ではなく、牧の中を区切った野馬土手です。この土手の南側(現在の南柏駅側)にいた馬たちを、土手沿いに追いかけ、この食い違いを利用して、土手の北側に追い込むための野馬土手です。では最終的にどこに追い込むのか、それが現在の柏第二小学校となっている「捕込(とっこめ)」です。

捕込(とっこめ)とは、年に一度、馬たちを集めて、検査・選別した施設。病気にかかっていないかを見て、そのまま牧に返す馬、軍馬として幕府に送る馬、農耕馬として払い下げる馬などの選別を行いました。捕込に馬を追い込む行事を「野馬捕り」、周辺の村々の農民たちは、馬を追いかける「勢子(せこ)」として集められました。

  

 

旧日光街道左手の豊四季第一緑地には、流山市との市境となっている野馬土手が良好に現存しています。

この野馬土手は、牧と村の境の野馬土手。この地点の柏側が牧で、流山側が村です。

              

【再び旧水戸街道に戻って】

牧の中では、松並木が旅人の道しるべとなりました。これは、旅人が道を間違えないようにと水戸様から贈られたものです。松並木は、近年まで南柏駅付近に残っていました。

街道は、柏駅の柏神社手前で牧を抜け、柏村へと入ります。この場所にも木戸が設けられていました。

ここでの野馬土手は、レイソルロードに沿って街道とクロスするように、右は柏三小通り沿いに、三協フロンテア柏スタジアム手前の緑ヶ丘交番向かいの野馬土手まで続いていました。

左はハウディーモールのイトーヨーカドー前のマクドナルドとフーサワビルの斜めの道沿いに、常磐線を越えて、柏一小通りの先を左に折れ、ザ・クレストホテル柏の先まで続いていました。

頭の中に地図を思い浮かべてください・・、

現在の柏駅は、江戸時代の柏村側ではなく、牧だったところに出来たことがイメージできますでしょうか!

そして街道は、柏村・呼塚村・根戸村を抜け、我孫子宿へと至ります。

 あ、そうそう!時代は違いますが、旧水戸街道の脇にある柏市役所。ここの駐車場からは弥生時代の竪穴住居跡が見つかっているんですよ〜

 

 

この記事を書いた人

吉田
ヨシダ
タカシ
プロフィール

考古学専攻の雑芸員、もといっ!学芸員として1994年に柏市役所に入庁。以来27年間、教育委員会文化課に在籍し、発掘調査・文化財の保護・市史編纂・芸術文化振興に従事/現在は市民活動の支援、地域のコミュニティーの活性化に従事

プライベートでは・・

 柏市立富勢小・中学校 元PTA会長/富勢地区青少協 元理事/富勢おやじの会/柏おやじネット/富勢中学校区コミュニティスクール副会長

カラオケはさだまさし、居酒屋での愛称は発掘隊長

 

 今回は、これまでの発掘調査の視点を交えて、柏の歴史をご紹介できればと思っております。

参考サイト

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