“かしわ文化知り隊”班長まちゃ子の「柏ゆかりの芸術家を訪ねて」5:金工作家・宮田琴氏

まちレポNo.
5
まちゃ子
マチャコ

kamon

スタッフ

かしわ文化知り隊

班長

プロフィール詳細

2020年10月に開催された第9回「共晶点」で、私の目をくぎ付けにした銅製の食器の数々――淡いピンク色、フォルムのしなやかさ、金属とは思えないぬくもり感――。アートを身近に感じる日常生活を想像して、ちょっとした幸福感につつまれました。
どんな思いでこの“優しい食器”をつくっているのだろう――ひと足早い春にふれられるような気持ちで、宮田さんの工房「アトリエ鍛(たん)」を訪ねました。


子ども時代――芸術一家のなかで

――お生まれはどちらですか?

宮田:生まれたのは東京の病院だったのですが、育ったのは埼玉の川越市です。小学一年生のとき、西東京市に引っ越しました。

――琴さん…素敵なお名前ですね。

宮田:父がつけてくれました。実は、「舞」という名前の双子の姉がいるんです。初節句のお祝いに祖父が、「琴の音に、舞うるわしき桃の里」という詩を贈ってくれたそうです。

――おじい様がつくられた詩ですか?

宮田:はい。琴を弾いて舞い踊り、2人が桃の下でなかよく暮らしていけるようにという意味が込められています。

――情景があふれるようでステキですね。おじい様は何をしている方なんですか?

宮田:佐渡の蝋型鋳造…

――ロウガタ?

宮田:蜜蝋(みつろう)を材料とした粘土のようなものを原型として型をつくり、そこに金属を流し込んで作品をつくる蝋型鋳金作家です。

――お父様の宮田亮平さんは金工作家で、東京藝術大学の学長を、また、現在、文化庁長官も務めていらっしゃいますよね。

宮田:はい。私が生まれた頃は、作家活動と藝大の講師をしていたので、物心ついたときから展覧会を見に行ったりするのは、我が家では当たり前の行事になっていました。


お父さんの出身地・佐渡島にて。左が琴さん、右は姉の舞さん

――一緒に工作をしたりすることもあったんですか?

宮田:小学校の自由研究の宿題では、父に相談したり、提案してもらったりしていました。

――どんなものをつくったんですか?

宮田:油絵は面白かったですね。小学5年生のときだったのですが、しっかりデッサンを教わったのはそのときが初めてでした。小学生で油絵を描くという経験はなかなかできないので、貴重でしたね。

5年生の夏。自由研究の油絵を手にして

――自慢のお父さんだったんじゃないですか?

宮田:いろいろな面白いことをやらせてもらったんで、友だちから「琴ちゃんのうち面白いね」と言われたりしました(笑)。

――お母様も芸術関係の方だったり…?

宮田:はい。母も女子美術大学の出身なんです。うちの家族や親戚は芸術系ばかりで、父は7人兄弟なんですが、みんな何かしらアートに携わっていますし、母の2人の妹も“女子美”の出身だったりするので…。

――芸術一家のもとでお育ちになったんですね。双子のお姉さんは何をされているんですか?

宮田:テーマパークを運営する某会社の社員をしています(笑)。美大に一緒に通ったんですけど、彼女は社会で自分の技術を活かしたい人だったので、それぞれモノづくりには携わっていますが、私とは違う方法で…。

――宮田さんは藝大のご出身ですが、お姉さんも?

宮田:姉は武蔵野美術大学です。私も最初“ムサビ”に入学しているんですよ。高校は別々の学校に行って、別々の予備校に通って受験をしたのに、同じ大学に入っちゃたんです。私は、その後、東京藝大への思いが強く、受験しなおしました。

――お姉さんと一緒に活動されることはあるんですか?

宮田:私が描いたデザイン画をチェックしてもらったりはしています。かわいいとかバランスがいいとか相談にのってもらっているんです。

――一番信頼できる相談相手ということですよね?

宮田:はい、何でも言い合えるので。

東京藝術大学大学院 修了制作 取手校舎にて

藝大で鍛金を専攻――父と同じ道に

――藝大では何科に入られたんですか?

宮田:工芸科に入学しました。

――なぜ鍛金を選ばれたんですか?

宮田:工芸科の中にはさらに分野が6つに分かれていて、染色、陶器、漆、そして鍛金、彫金、鋳金という3つの金属分野があって、一通り勉強して、3年生のときにひとつを選びます。漆をやろうかとか鋳造の方をやろうかとか、けっこう悩んだんですが、やはり鍛金に魅力を感じて…。

――それはお父様の影響なんでしょうか?

宮田:そうなのかもしれませんが、私としては自然な選択でした。

――どんなところが魅力なんですか?

宮田:鍛金というのは、一枚の板から形を変えていくんですね。漆や鋳造は最初に完成形をつくって、加飾していくことが多いのですが、鍛金の制作工程は常に形が変化するんです。そこに魅力を感じました。これなら飽きずにやっていけるな、私にあっているなと思って。いろいろ経験した結果、鍛金を選択…そうしたら、そこには父がいたということですかね…。

鍛金の行程。左の板状の銅板が作家の手によって徐々に立体的に姿を変えていく

――飽きないでできるというのは?

宮田:モノをつくるってすごく時間がかかるので、途中で気に入らなくなっちゃったり、やっぱりこれじゃないんじゃないかとか、自問自答が常にあるんです。最初に決めちゃうと途中でぶれちゃうことがよくあったので、だったら常に変化して、常に自問自答していきながら答えを出せる方が、自分の性にあっているんじゃないかなと。

――一個一個が対話?

宮田:そうです。本当にそうです。

――実際に工程を見せていただけますか?

宮田:では、銅を金鎚でたたく作業から。


――リズミカルにたたいていらっしゃいますね?

宮田:左手でまわして、右手で金鎚をおろすだけ。角度が大事なんですね。だいたい3回から5回くらいたたいたら、左手で持つ位置を移動させるような感じですね。平らなところからどんどんたたいて少しずつ形を変えていきます。

――もうひとつ工程を…。

宮田:バーナーに行きましょうか。

宮田:金属、特に銅板はたたくと固くなって、それ以上加工できなくなるので、こうしてバーナーであぶります。一回赤く熱しちゃうと、水の中に入れてもやわらかいままなんです。やわらかい状態でまた金鎚でたたくと、ほんの少し直径が縮んで立体になってくる。これを何度も繰り返します。

――基本は全部たたく?

宮田:そうです。たたかないと形になりませんから。これはオブジェの頭の部分なんですけど、一枚板から少しずつたたいて、微調整しています。

――角度はどのように調整するのですか?

宮田:角度にあった当て金(あてがね)を選んで、銅板を上に乗せるんです。ここは急カーブだからこれに替えて、ここは平らだから…というように。なので当て金の種類がたくさんないと制作できないんです。ここにある道具はほぼうちの父のもので、父が使わなくなったものを、私の方で使わせてもらっています。

工房に並んだたくさんの「当て金」

学生結婚、出産、柏へ

――藝大ではどのような学生生活を過ごされたのですか?

宮田:学校に通いつつ、美術専門の予備校で講師の仕事をしたり、研究生のときは「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」というアクセサリーの専門学校で講師の仕事をしたりしていました。学業と仕事を両立しながら卒業後独立する準備をする感じで、学士、修士・研究課程も含めて8年間藝大でお世話になりました。

東京藝術大学 鍛金研究室にて

――卒業後は?

宮田:町屋に先輩とアトリエを構えて制作活動をしていました。そのときにはすでに結婚して西日暮里に住んでいたので、自転車で通いながら。

――ご結婚早かったんですか?

宮田:24歳。大学4年生のときでした。

――柏に来ることになったのは?

宮田:子どもが生まれて三鷹の社宅に移ったのですが、だんだん手狭になったので、7年前、夫が子どもの頃に住んでいた柏に引っ越すことにしました。その後、一緒にやっていた先輩が別の場所にアトリエを構えることになって、それを期に「独立して自分のアトリエを持とう!」と決意しました。今から3年前のことです。

――この物件はすぐに見つかりましたか?

宮田:不動産屋さんをいくつかまわりましたね。どうしても変な条件になっちゃうんで…。音が出る、火が出る、床はしっかりしていないといけない(笑)。結果的に、“変な条件”もクリアしていて、さらに、駅からも歩けるし、バス通り沿いという良い場所が見つかりました。ワークショップもここで開催するので、アトリエの立地には恵まれた感じです。

――子育てと制作活動の両立は、なかなか難しいのでは?

宮田:4月から娘が1年生で、お兄ちゃんが中学1年生になるんですけど、以前町屋まで時間をかけて通っていたことを考えると、自転車で数分の距離なので、とても両立しやすいんです。アトリエで作業する時間が増えたので、仕事量も増えて、充実しています。

――お子さんと制作の話をしたり、一緒につくったりとかするんですか?

宮田:一緒につくることはないんですが、よく遊びにきますよ。お兄ちゃんはガンプラにはまっているので、やすり貸してとかリューター貸してとか言って…。

――リュー???

宮田:削る器具です。今時のガンプラってすごくよくできていて、自分でカスタマイズしたり塗装したりするんですよ。

――息子さんにとっていい制作場ですね。

宮田:ええ。私にしょっちゅういろんなことを聞いてきます(笑)。

――お父さまのエピソードと似ていますね。

宮田:そうですね。同じなのかもしれませんね。芸術って、趣味や生活の一部になっていることを実感します。今は仕事と生活の境をこえて、親子の会話になっていて、とてもいいなと思っています。

作品について

――宮田さんは、芸術作品と日用品の2種類を手掛けていらっしゃいますが、どのような思いで双方のジャンルに取り組まれているのですか?

宮田:学生時代は、伝統工芸を学びつつ、アート表現も学んできました。卒業後は自分の個性を発信していくようなアート作品をずっとつくってきたのですが、ある時、父の手伝いで、日用品をつくるという機会をもらって、その作業が楽しかったんです。

――アート作品をつくるのとそれほど違わなかったということですか?

宮田:最初は、同じものを繰り返しつくるのってどうなのかなとか思っていたんですが、作り込んでいくうちに、個性的なものをつくりたいという感情と、量産するものの性質がうまく合ったときがあるんです。自分のやりたい方向性が両者にマッチしていたんですね。なので、日用品という身近なものを数多くつくったとしても、宮田琴という個性がしっかり出せていけるんじゃないかなというふうに腑に落ちたんですよね。

「銅のコーヒードリッパー」と「銅のコーヒーメジャースプーン」

――宮田さんのコーヒードリッパーは、柏市のふるさと納税の返礼品にもなっていますよね。反響はいかがですか?

宮田:おかげ様で、全国各地からお問い合わせをいただいています。キャンプに持っていったとか、おじいちゃんのお見舞いに持っていって美味しいコーヒーをいれてあげたとか――特別な場所に持っていって使ったというようなステキなエピソードをいただいています。

――ドリッパーをつくるきっかけは?

宮田:東京の桶職人さんとのコラボ商品なんです。私の銅のフィルターの三角錐の部分と、桶職人さんの木の輪っかの部分と。コーヒーをテーマにグループ展を開催したとき、コラボのお誘いをいただいて実現しました。

「ハートの片口」と「ハートのぐい呑み」

――代表作のハートのぐい吞みについて聞かせてください。なぜハートをモチーフにしたのですか?

宮田:陶器からヒントを得ました。ろくろでひいたものがちょっとゆがんでいて、ステキな形になるのを見かけたんです。それがハートに見えるなあと。女性的なモノをつくりたかったので、鍛金でやってみたら思った以上にかわいかったんです。

――銅と“かわいい”って、一見結びつかなそうですが…?

宮田:伝統的な銅の酒器などは、色が濃くて渋くて、デザインが大人っぽいものが多いので、ピンクを強調してみたり、中に金箔、銀箔の色箔を使ったりして、ハートに合うように最終的にこういう形に落ち着きました。

――実際、間近で見ると、この凹凸がステキな模様になっていますね。

宮田:鎚目(つちめ)といいます。

――宮田さんの思いがこもっている感じがしますね。

宮田:私のたたいた手仕事と、あたたか味のあるハートと、手の中にフィットする大きさというのが「ぬくもり」というコンセプトとしてしっかり合っているなと思っています。

――手にとった人のことも考えながら?

宮田:そうですね。この間は、色を変えてほしいというご依頼があったのですが、その方がどんなふうに使ってくださるかなとか、どんなシーンになるのかな、とイメージしたりしますね。そんなことを思いえがきながら制作するのも作家としての楽しみです。

――ちなみに…宮田さんピンクがお好きですか?

宮田:ここ最近、髪の色もピンクなんですよね(笑)。髪は昔からいろいろな色にしているんですけど。作品を展開していくうえで、ピンクをテーマカラーにしているんで、身の回りにピンクが増えて、気づいたら私もピンクに…(笑)。

――髪の毛も自己表現のひとつ?

宮田:そうですね、それはずっとやっています。昔は金髪、アッシュ、ツートン、エクステつけたり…(笑)。

――表現したい欲求はどこからくるんですか?

宮田:単純に何かつくっているのが好きなんですね。つくっていると、もっと違うのをつくりたくなっちゃったり、今度はこうしたいとか、どんどんアイディアが出てくるんですよね。

――宮田さんは芸術家ですか? 職人さんですか?

宮田:自分では金工作家といっています。百貨店で取り扱っていただくときは普通は「商品」というと思うんですが、自分では「作品」という気持ちで納めさせていただいています。自分の想いがしっかり入っているという意味で。


思い出の作品

――思い出深い作品はありますか?

宮田:大学生のときに課題でつくったネコですね。一枚絞りといって、一枚の銅板でつぎはぎなしでたたいてつくるんです。今はもうつくれないですね…。

――なぜつくれないんですか?

宮田:当て金の道具が足りないんです。それと、この作品は良くも悪くも下手なんですよ。今だともっと上手につくりすぎちゃうんで、味がなくなっちゃうと思うんです。いい意味ですごく力が抜けているんですよね。

学生時代の作品

――精悍な顔立ちをしていますね。

宮田:これはアビシニアンというネコで、モデルネコを学校が借りてきて、スケッチすることから始まりました。

――今にない表現があった?

宮田:本当に純粋な感じです。大学に入るまでは毎日予備校で何時間も絵を描いていて基礎デッサン力はたたきこまれていたので、当時は、デッサン力はあったんです。でも、金属との対話力やスキルはないので、ものすごく試行錯誤しています。いとおしい感じですね。

柏での活動

――柏で活動されるようになってから3年。アーティストとして柏で活動するというのはどういう感じですか?

宮田:ふるさと返礼品の事業者として認めていただいたことや、今回取材のお話をいただいていることなど、市民にどんな人がいるかということをすごく丁寧にピックアップしてくださっていて、そういう柏って本当にステキだな思っています。以前はそういった話はなかったので(笑)。柏の皆さんのコミュニケーション力とネットワークで、いろんな人につながることが非常に多くて、本当に「人」が温かいところだなと感じています。

――アートラインかしわの「共晶点」には過去2回出品されていますが、いかがですか?

宮田:共晶点、すごくびっくりしています。みなさんステキな方ばかりで、クオリティが高い作品をつくっていて。実行委員を務めている福永さんの個展を最初に拝見したとき、一緒にやってみたいなという気持ちになりました。

――アーティスト同士で話もはずむんじゃないですか?

宮田:そうなんですよね。やっぱりアーティストって面白いなって。原点に戻るような思いで関わらせてもらっています。

――今年の共晶点も?

宮田:そうですね…どんな作品つくろうかな!? 困ったなあ(笑)。

――今後の目標は?

宮田:より多くの方に私の作品を手にとってもらえて、心が穏やかな気持ちになっていただけたらうれしいです。ぬくもりを感じる金工作品を一人でも多くの方に共感してもらいたいなと思います。

――宮田さんにとっての柏はどのようなところですか?

宮田:独立して新しいスタートをきった場所ですね。人とのつながりで柏に根付いたお仕事をたくさんいただけるようになったので、ありがたいと思っています。

――ほかに宮田さんにとって大切な場所は?

宮田:上野ですね。大学があったので学生時代の思い出の場所ですね。とはいえ、子どもの頃から展覧会を見る場所、父親の職場でもあり…どちらかというと、父親の場所ですかね。私が大学を卒業してからも父は藝大で学長をしていたので、父に会いに行くのも上野でしたし。

――上野がお父さんの場所、柏は自分の場所?

宮田:柏はまだまだ始まったばかりですが、そんなふうに思える場所にしていきたいですね。





作品をつくるときの規則的な手の動きや表情には、適度な緊張感と気品があって、ずっと見ていても飽きない、もっと見ていたいという気持ちにかられました。美しい作品は、こういった雰囲気のなかで生まれるのだと、アーティストの思いの結晶なのだと。
柏に来て充実した仕事ができるようになったという宮田さんの言葉に、一市民としてとても誇らしい気持ちがし、また、人を大事にする、人と人のつながりを大事にする柏としての認識を新たにしました。




宮田 琴(みやた こと)

1976年 1月21日東京生まれ。
1996年 武蔵野美術大学工芸工業デザイン科 入学(’98年中退)
1998年 東京藝術大学美術学部工芸科(鍛金)入学(’02年卒業)
2004年 東京藝術大学大学院 修士課程工芸専攻(鍛金)大学院 修了
2005年 東京藝術大学大学院 鍛金研究室 研究生 終了
2005年 専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ 非常勤講師
2006年 東京藝術大学大学院 美術教育 研究生 修了
2009年 江東区伝統工芸会 会員
2014年 女子学院 非常勤講師
2019年 東京都販売普及促進事業プロジェクト 「東京手仕事」認定
2019年 『コーヒードリッパー』柏市ふるさと返礼品 認定

「アトリエ鍛~たん~」のホームページはこちら




取材日:2021年2月10日
取材場所:アトリエ鍛(たん)
撮影:紅林貴子


この記事を書いた人

柏生まれ柏育ち

kamon

スタッフ

かしわ文化知り隊

班長

まちゃ子
マチャコ
プロフィール

“かしわ文化知り隊”班長まちゃ子こと石井雅子

柏生まれ柏育ち。市民活動家の両親が2015年前後に他界したことをきっかけに、地元に興味を持つようになる。
2020年4月からkamonかしわインフォメーションセンターに勤務。以来、流行りのものからマニアックなものまで、柏のいろいろな魅力に触れ、エキサイティングな日々を送っています。

参考サイト

その他の記事